本田圭佑の原点は挫折と敗北。メンタルの強さを生み出した家族の言葉とは

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本田圭佑選手は、日本を代表するプロサッカー選手で、これまで多くのクラブで活躍してきました。

そんな本田圭佑選手は、日本人離れしたメンタルの強さが話題になることが多いです。

しかし、そのメンタルの強さの裏には挫折と敗北という原点がありました。

そこで、本田圭佑選手がどんな挫折を味わってきたのか、またその逆境からどうやって乗り越えてきたのかを詳しく解説していきます。

本田圭佑のプロフィール

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名前:本田圭佑(ほんだ けいすけ)
生年月日:1986年6月13日
年齢:33歳
出身地:大阪府摂津市
身長:182cm
体重:74kg
現所属チーム:ボタフォゴFR
ポジション:MF、FW
利き足:左

本田圭佑選手のプロ人生は、名古屋グランパスエイトからスタートしました。

名古屋グランパスエイトでは2005年〜2007年までプレーすると、その後のシーズンは海外でプレーされています。

簡単に、これまでの所属クラブをまとめました。

2008〜2009年:VVVフェンロ
2010〜2013年:CSKAモスクワ
2014〜2017年:ACミラン
2017〜2018年:CFパチューカ
2018〜2019年:メルボルン・ビクトリー
2019〜2020年:フィテッセ
2020年〜:ボタフォゴFR

本田圭佑選手はこれまで多くのクラブに所属してきましたが、とくにACミランの10番を背負ったときには世界中で注目されました。

クラブだけではなく、日本代表でも2008〜2018年まで活躍されています。

FIFA選出の「W杯MOM数」は、日本人最多の4回受賞し、2010年南アフリカW杯ではUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされました。

現在は現役選手としてプレーしながら、カンボジア代表のGM兼監督にも就任しています。

さらに、自身がプロデュースしたサッカースクール『SOLTILO FAMILIA』を日本で開校するなど、幅広い活動している選手です。

本田圭佑の原点は挫折と敗北だった


本田圭佑選手は自分の中に強い信念があり、これまでも常に有言実行してきた素晴らしい選手です。

高校のときからすでに注目されており、プロになってからも常に向上心を持ち続け、左足のキック精度を武器に日本を代表する選手にまで成長しました。

そんな本田圭佑選手の姿に、憧れを抱いた方も多かったのではないでしょうか。

「メンタルモンスター」と言われるほど日本人離れした本田圭佑選手の強さの原点は、実は学生時代に味わった挫折と敗北にあったのです。

小学生時代の本田圭佑選手は、王様タイプで自分の好きなプレーができる選手でした。

当然、「自分が1番上手い」という自信があった本田圭佑選手ですが、その後ガンバ大阪ジュニアユースに所属すると、そこで待っていたのは厳しい現実だったのです。

ガンバ大阪ジュニアユースには関西から上手い選手が大勢集まり、本田圭佑選手は次第に「自分が1番上手い」と言える状況では無くなってしまいました。

そして、同時期に家長昭博選手(現川崎フロンターレ)も所属しており、同じ左利きであったことからよく比較されたそうです。

「俺は周りにどう言われようと関係なかった。プロになることだけを考えて、そのために妥協しないでプレーをする。そのことだけを意識し続けていた」
引用元:https://www.soccerdigestweb.com/news/detail1/id=9675

本田圭佑選手は自分のプレーをすることだけを意識してプレーしたそうですが、なかなか結果はついてこなく、試合にも出られない日々が続きました。

そして中学3年生のときの三者面談で、クラブ関係者から「ユースには昇格できない」ことを告げられます。

このとき、本田圭佑選手は初めての挫折と敗北を味わいました。

本田圭佑を支えた家族の言葉

誰よりも才能がありながらも、中学生で挫折しサッカー人生を諦める選手は数多く存在します。

本田圭佑選手もガンバ大阪ジュニアユースで挫折を味わいました。

しかし、そんな本田圭佑選手を支えていたのは、家族の言葉・家族の存在だったそうです。

「とにかく、一番になれ!」
「お前がウチで休んでる今、ブラジルでは練習してるぞ」
「お前のサッカーは全く見てられへん。全てのプレーが止まってるみたいに感じたぞ」
「何でモノレールでガンバ(大阪ジュニアユース)の練習場に通ってんねん。チャリンコで行くのもトレーニングや」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/motokawaetsuko/20200501-00176161/

本田圭佑選手の父親は厳しい方だったそうで、毎日本田圭佑選手に対して厳しい言葉をなげかけていました。

普通ここまで厳しい言葉を投げかけられたら、サッカーが嫌いになってもおかしくありません。

しかし、本田圭佑選手は当時家族に認められたい一心で努力を続けたそうです。

その気持ちがいつしか「今に見てろよ」という感情に変わり、必ず親を見返してやるという強い気持ちに変わっていきました。

このメンタルを備えていたからこそ、ガンバ大阪ユースに昇格できないと言われても、くじけることなく新たなチャレンジとして星稜高校へ進めたのでしょう。

そして、星稜高校では石川県初の全国ベスト4に進出し、チームキャプテンとして大きく貢献しました。

本田圭佑選手は家族の言葉でハングリー精神が鍛えられ、その経験が今のメンタルの強さに繋がっているのでしょう。

本田圭佑は33歳になった今でもチャレンジを続ける

本田圭佑選手もすでに33歳となりました。

すでにベテランの域に差し掛かり、少しずつ引退にも近づいてきているでしょう。

しかし、本田圭佑選手は現在もハングリー精神を忘れず、常に新たなチャレンジを欲しています。

2020年からはブラジルのボタフォゴFRに移籍し、デビュー戦では早速決定的なパスでチャンスメイクするなど、存在感を示していました。

これまで多くのクラブでプレーしてきましたが、知らない地で自分自身の存在感を示せるのも、学生時代に味わった挫折を自分の力に変えられたからでしょう。

さらに、本田圭佑選手は選手だけでなく監督としての道も歩み始めています。

また、『SOLTILO FAMILIA』というサッカースクールを日本全国に開校し、引退してからの人生も少しずつ形にし始めています。

今後,本田圭佑選手がどんな道を歩み進めるのかわかりませんが、きっとどんな道を進んだとしても持ち前のハングリー精神で、逆境を跳ね返していくのではないでしょうか。

まとめ

今回は、本田圭佑選手の挫折と敗北を経験した過去や、本田圭佑選手を支えた家族の言葉などについてまとめました。

プロサッカー選手として多くのことを経験している本田圭佑選手ですが、ガンバ大阪ジュニアユースでは挫折と敗北を経験しています。

この年代での挫折は今後の人生を左右する大事なときですが、そんなときに本田圭佑選手を支えていたのは、家族の言葉でした。

33歳になった今でもチャレンジし続けるハングリー精神があるのは、きっと学生時代に味わった挫折を乗り越えたからではないでしょうか。

今後本田圭佑選手がどんな道を歩んでいくのか、注目していきましょう。

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