
前回の東京オリンピックといえば1964年でほとんどの資料がモノクロで紹介されるので、僕ら団塊ジュニア世代あたりだと、大昔の出来事だと思っている人も多い。
昭和39年生まれの人は56歳になった。失われた20年で苦渋を舐めた中高年世代も、早い人は孫を持つ年代。
だけど、いくら若いと言ったって男も40過ぎると白髪や老眼、精力、スタミナなどに陰りが見えてくる。
女性ならばもっと年齢や体の変化には敏感だろう。
人間は高度な文明社会での繁栄を楽しめる時代に入っているが、世界でも貧富の差は不変で存在するし、日本でもますます進行しているとされている。
だけど、そもそも日本人はそれほど裕福な国民ではなかったはずだ。
全国各地から集められたローカルな人々が結集して、質素な食事や狭い住居に住み
贅沢をせずに、貯蓄に励み、不利な戦争を乗り越えてきた民族。
貧しさをバネに事業を興した人もいただろうし
休日を厭わず、会社に一生を捧げて人生を全うした方もいる。
バブル崩壊と同時に、日本の経済成長は鈍化し
人口減の社会になり、サービスは至るところに溢れ
あらゆる物が国民に行き渡った。
金がなくても、富士そばとか松屋などの飲食店はどこにでもあるし
文房具は貴族のおもちゃだったが、今は安価な使い捨てボールペンがダイソーに転がっている。
昭和の長い時代においては、いい大学をでて、いい会社に入り
経営陣を目指して仕事に励み、家族を持ち、小さなマイホームで慎ましく暮らす。
そのようなライフプランもよく見かけた。
対して、今の若者は、簡単には正社員には慣れないし
なったとしても、社内政治に通じている人物が上へ登っていくのは、昔から変わらない
世渡りのテクニックなのだろう。
部下の業績を独り占めするとか、汚い手を使っても
実績を上げたものが勝つという組織は今でも多いと思う。
正義、正論を振りかざす賢明な人でも、自らの悪を飼いならす組織では潰されるのがオチだ。
若い女の子なら、適当に男どもをあしらいながら、日々をやり過ごせるかもしれない。
中高年は、容姿で勝負することは極力避けたほうがいい。
若さっていわば、性的魅力と言い換えても過言ではない気がしていて歩き方とか顔の表情とか、身なりなどを総合して相手を値踏みしている。
人の悪口や陰口はヤメよう。と言われていて潜在意識を悪くするからだという。
今日はオリンピックの開会式の日、ブルーインパルスを初めて見に行ったが
ロケ地の選択を誤り、豆粒大にしかそれは見えなかった。
だが、なんとなく湧き上がる高揚感とか一体感を味わうことが出来た。
すべては錯覚とか妄想の類なのだろう。
中高年にとっては、最初で最後の東京オリンピックの可能性も高かったりするが
意外と人は気づいていなくて、テレビやネットニュースで切り取られた絵だけを見て流している。
オリンピックのイベントが商業主義だという事は、ハナから常識なのだから
一般庶民は穿った見方もそこそこに、競技での模擬戦を楽しんだらいいと思う。
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