「沈黙は金」を間違って解釈していないか?

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筆者は、小中高大の16年、人と上手く話せない事に悩むことが多かった。
誰でも、一度はイジメとか仲間はずれをされた経験などあるのではないでしょうか?
容姿がキモいとか、逆に整っているとか、勉強が出来ない、運動が苦手だとか、、、etc。
子供の社会は、大人社会の構図のようなところがあって、悪い念が巡り巡って
子供へまで波及していく。
会社で虐げられているパパのネガティブな気持ち、育児に追われ女性の本来の自分の価値を認めてくれない
社会システム。

大学時代に優秀だった、同級生が男女問わず、ヒエラルキーの厚い壁に阻まれ
本来持っていた自由奔放さや明るさを失ってしまう。
LINE既読スルーは、ほとんどなのでグループは全て離脱した。
Facebook messanger グループでも、普通の人間が会話するリズムでレスをつけてくれる人は
まだ一部にとどまる。
でも、この気持にはとても理解する事ができる。
私自身がコミュ障だと思わされてきたから
でも、社会に出て、同僚と接する中で自分だけだと思っていたこの症状や性質を
他の人も多く抱えている事を理解した。

いったい、何が原因なのだろう。
私は、高校受験も大学受験も適当に流していたので、ガチで全国の受験生と同じ土俵に立った経験が無い。
だから、あの面倒でつまらない授業を消化して、高得点を競うというゲームにどうも熱が入らなかった。
高学歴の人やスポーツで結果を残した人を、毎日テレビゲームばかりしていた私は心からリスペクトしている。
友達と適度な距離を置きながら、テストで差をつけて勝ち抜いて上を目指す。
さながら夏の甲子園のトーナメント戦の様相だ。
きっと恋愛を諦めたり、本来の夢を先送りしたり、何らかの代償を払ったのだと思う。

「沈黙は金・雄弁は銀」、これは西洋のことわざ。
「言わぬが花」ということばもある。
日本人は、他の人の行動に右へ倣えするような気質があるのだと思う。
大震災や爆撃の際、河川の上の橋に殺到し行き場を失い、大勢が亡くなったとか
今回の頃な騒動で見られる自粛警察などの、小さな怒りを沸々とさせている者などは
決して珍しく無い。

私は会社員 というポジションを約18年経験したが、あまり仕事が続くタイプではなかった。
なぜなら、上の者への忖度や、根回しなどの社内政治に全くもって疎かったからだ。
稟議書に沢山の印鑑を集めて、承認を得るというシステムを知ったときは、心底驚いた。
そういった、オフィスワーク、ホワイトカラー的な仕事をしたことが無かったからだ。
会社で自分のデスクが与えられる喜びと共に、常に周囲の視線や気に敏感になりすぎて
毎日、疲労困憊して地下鉄の優先席に沈み眠りに落ちていた。

家電販売員としてPCのセールスに没頭していた時も
繁華街や観光地のホテルでフロントサービスをしていた時も
稟議書など一度も書いたことも無かったし、他者のコンセンサスを得て実行するという
プロセスを踏むことも皆無だった。
なので、周囲からは常に浮いた存在だったし、時に上からの圧力に負けて
部下に対して、強権発動する上司のマネをしてみたが、全くもって面白くないし
強烈な反発をくらったりと、まったく良いフィードバックは得られなかった。

これは中学時代の部活動に通じるところがあって、サッカー部ではケツキック
野球部ならケツバットという、恐怖を植え付ける儀式が80年代の私の時代には
存在していた。
華やかに見える女子の部活にも似たようなものはあったようで
女子テニス部は、トイレに目障りな部員を呼び出し集団でイジメるような噂を
聞いたこともある。

人は一人では生きられないし、何らかの組織や社会的集団に属して日々の糧を得ている
人が多いが、進んだヲタクのヤクザは、群れを離れ部屋にひきこもって
コンテンツを制作して、経済的に裕福になるインフルエンサーも存在する。
彼らと、結果を出せない普通の人の違いは、継続する力、反対意見や社会のルールを疑い
それに立ち向かう姿勢、嫌なことを極力排除し、健全な自己肯定感と精神をキープしている
ところだろう。

一日,八時間も十時間も働くなんて現代人は、生命時間を切り売りしすぎている
悲しい存在だと思う。それでいて家や車のローンに追われていたり
会社と家庭の板挟みになる、真面目なお父さんとか
家族の健康を気遣い、買い物や調理を頑張るお母さん
そんな日本人の犠牲のもとに、国家は繁栄をしてきたのだろうが
90年代半ば頃から、どうも雲行きが怪しくなってきて
連絡の取れない友人や、同窓会に一切顔を出さない者も増えた。
私もその一人だったし、同窓会については懐疑的で、ある程度生活に余裕のある者の
自慢大会的な性格もある残酷なイベントだと思う。

話がかなり逸脱した気もするが、要は自分の言いたいことや意見を押し殺すのではなく
Yesなのか、Noなのか、保留なのか、不快なのか、気に入らないのか
SNSでもメールでも、黙らずに何か返せということである。

別にそれで、面倒な問題に発展する事など稀だし
自分が思っているほど、世間は誰も小さな個人に注目などしてはいない。
集団圧力、同調圧力に負けるな、自分の意見を言わない会議やZOOMなら
別にあなたがいなくてもいいんだから。


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